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日本の至る所で熱い議論が交わされる為ご存知の方も多いだろうが、
長年世界中のちびっ子達やクズ研部員を悩ませてきた糞便学上の難題が存在する。

「to be or shit to be?」
 (カレー味かうんこ味か、それが問題だ。)

という、わずか六単語で表わされるその問いかけは、
あくまで本人の自由意思を尊重した上で強制的にうんこ食べさせるという内容から、
かの有名な「悪魔の証明」と並び、人口に膾炙した詭弁の一種として認知されている。

常日頃より子供の心を失わず、うんこに関し並々ならぬ研鑽を積み、
酒の場では必ずうんこちんちんの話題で大いに気炎を上げる我々クズ研一同は、
上記の文章を単なる子供だましの言葉遊びとしては捉えてはいなかった。

うんこをうんこたらしめているもの、いわばうんこのアイデンティティを哲学的な立場から捉え直す良い契機として、この文句を認識していたのである。
仮にうんこがうんこであると知覚するに必要な要素が無数に存在したとして、私達がそれを意識するには五覚を通して得た情報に頼るしかないわけであり、それらの中でどれに重きを置くかによって、うんこに対する我々の印象は大きく左右されるだろう。そこを踏まえると、味覚を比較対象に選んだことは、定量化・数値化を達成したとしても、最終的な価値判断を伴う「味」は本人の主観によるところが非常に大きいことを意味する。

また、うんこに対するイメージは決して暗いものばかりでは無いということも知っておくべきであろう。飲食物という恵みや豊穣の象徴が、人体に取り込まれることで「禁忌されるべき不浄の存在」に変貌していく過程は、科学というものを持たなかった古代人にとって、あたかも魔法のようなものに映ったであろうことは想像に難くない。古来、物事の変化や推移は神から人間に与えられる恩恵であり災厄であった。例を挙げると、日本神話に登場する保食神(うけもちのかみ)は食物を司る女神であるにも拘らず、自らの出した汚物を来訪者に分け与える。それもその筈、彼女の排泄物は生を繋ぐ穀物であり、獣であり、魚であった。この不可思議な神話中の一連の出来事は何も日本に限られたものではなく、死体や糞尿などの不浄の存在が豊穣の象徴として(食物であることが多いが、宝石や貴金属などであるパターンも多い)生まれ変わる「ハイヌウェレ型神話」として、世界各地の神話中で散見されるイメージである。

キリスト教徒は叫ぶ。具体的にはエンヤを目にしたジョセフが叫ぶ。
「Holy shit!」
 (聖なるうんこ、あり得ないの意。いや、あり得るのである。)

続き始めました。
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2009.10.06 Tue l サークル l COM(0) TB(0) l top ▲

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