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 国語辞典で「軍神」をひも解くと、まず「武運を守り、戦争を導く神」とあり次に「優れた武勲を立てて戦死した軍人を軍神として崇めたもの」とある。通常我々の認識だとこれでも特に問題はないような気がする。だが戦時中の日本人が軍神として認めたものにこれでは当てはまらないのだ。
 何故なら、軍部が中心となり勇敢なる戦死者の中から適当な物をセレクトし軍神として戦意高揚に用いたものを「軍神」とするなら、国民全体が共感した「軍神」像はそれらに適合するものでは決してないからだ。
 日露戦争で戦死した廣瀬武夫や突破口を開くために散華した爆弾三勇士は激しい戦闘意欲をもって華々しい戦果を挙げた訳ではなく、見る人によっては犬死の様相を呈している。だがそれでも彼らの行動は我々の胸を打つのである。
 一連の彼らの行動には、清廉潔白な人柄や部下と皇室への深い思いといった道徳規範を伴った「武人の典型」、そして命と引き換えに他者の役に立とうとする「自己犠牲の精神」といったものが存在し、それらを日本人は状況が急速に変遷してゆく中で自己の再確認をする為に「日本が誇るべき伝統精神を顕現する大和魂」として感じ取ったからなのである。輝かしい武勇談なら何も日露戦争以前にだって幾らでもあっただろう。
 しかし国民は廣瀬武夫らを日本人の鑑として、軍神として、崇めることを選んだ。この事実は一般的な軍部主導によるプロバガンダ的「軍神」のイメージを覆すには十分な証拠となり得る。日本人の価値観が選んだ「軍神」は我が国固有の概念であり、それ故に日本人の心情に強く訴えかける。

 前に書いた「軍神」が突発的・個人規模の現象であるならば、「特攻」はいわば制度的・集団規模での「軍神」である。
 海軍の大西瀧治郎中将が発案者とされている「特攻」だが、天皇陛下から賜った兵器を個人の裁量で改修することは将官でさえ許されていなかったので軍部が発令した作戦を中将が実行したと見るのが妥当であるし、何より海軍は特攻専用兵器を航空機特攻が始まる前に開発していたのである。この事からも「特攻」が制度的・集団規模のものであった事が伺えるだろう。
 だが「特攻」そのものはそうであっても、実際に行動に移したのは個人であり人間である。一般に近代・現代までの日本人の死生観は「諸行無常」と表されることが多いが、死と直接向かい合わなければそうした考えもただの聞きかじりに終わってしまう。しかし極限状況の中にあって彼らが自分の死に思ったのは、単なる生命活動の停止などでなく自分の親兄弟、そして神州を守るための意義のある死と捉えた。
 私はこの中に凡庸な机上の空論では到底及びえぬ「日本人の精神」が込められていると思う。桜が散ればだれだって悲しいものだ。それを年が経るたびに嘆くよりかは、元からそうなのだと「諸行無常」と決め込めばいくらかは気持ちの余裕ができるもの、大方はそのようなところなのではないだろうか。
 私は「特攻」は日本の美徳の終着点であると考えると共にそのような機会が未来永劫訪れぬことを心から願うものである
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2008.08.11 Mon l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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