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私は激怒した。必ずやかの邪智暴虐なる言葉を否定しなければならぬと決意した。
というのも近頃、
「この者は純潔を失いしものなり」
なる旨の書き込みをネット上で幾度となく見たからであった。
その度に行き場のない感情がたちまち私を包み込み、瞋恚で目も眩まんばかりになった。
確かにその少女には幼少時代の直接的な描写はなく、
両親を早くに失いどこかに引き取られ不幸な境遇を送ったらしい由のみが
作品中に見受けられたからであろう。これは悪魔の証明の悪用である。
確かに消極的事実を完全に否定することは現実問題として不可能である。
だからといって年端の行かぬ少女に不幸な境遇を押し付ける様な真似は絶対に許されない!
箱庭的世界は閉ざされたまま存在すべきである。時は進むことなく繰り返すべきである。
変化は、進化は、悪魔の所業。主は汝らが楽園に住み続ける事を望まれ汝らを作ったのだ。
知恵の実として林檎が生ろうが汚穢が生ろうが与えてはならぬ。改変は罪悪と知れ。
理由を求めてはならぬ。意味を求めてはならぬ。何故ならそれはそういうものだからだ。
だが感情的に反応したのでは理論性はおろか説得力は雲霞の如く消えうせるのみ。

証拠が必要だ。論破には確かな証拠が不可欠なのだ。
そこで作品の大本となる聖典を手に入れる事にした。
作品は元々或る作家の個人誌の中の一コンテンツであり、
数年ほど経ってから商業作品として世に出たという経緯がある。
その冊子は現在ではその希少価値から高値で取引されているのが現状だが、
我々は宗教弾圧には決して屈しない!!
そこで「ドキッ!結論ありきの脳内公会議」が開催され審議した結果、
万雷の拍手を以って購入にかかる諸費用の予算請求が可決された。
銀行口座に振り込み待つこと三日間。
これは偶然にも神の子の復活に要した期間と同じであった。
かくして福音は我等信徒の手に委ねられた。

私が聖典を解読したところによると、
創造者はこの身寄りのない少女を老人に引き取らせたという設定で御造りになり
老人の逝去と共にこの物語は始まるであろうと仰せ給うた

とその由書き記してあった。
老人は子供と並び、純潔・性に対する無謬性の象徴である※ことは、
賢明な読者諸君のことであろうから説明の必要はないと考える。

やはりあの様な邪智暴虐なる言葉は嘘まやかしの類であった!!
人心を惑わす占い師や魔術師などは神の国には入れぬ。
それが証拠にシモンは空から落ちたではないか。
やはり神は死んでなどはいない、常に我らと共にあり見守っていてくださるのだ。

と無宗教者の私がマジレスしてみる。

※その詳細は「少女民俗学―世紀末の神話をつむぐ『巫女の末裔』」に詳しい。
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2009.11.14 Sat l 自己紹介 l COM(0) TB(0) l top ▲

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