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以前書いた文章の続き。
後半の脱線っぷりがいっそ清々しい。
いや、スカスカしい。

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そこでカレー味のうんことうんこ味のカレーの尊卑という冒頭の問いに戻ってくる訳だが、
「この比較対象である二者は果して本当に区別して考えるべきか否か」
という疑問があると私は考える。

というのも、現在「うんこ」として認識され「うんこ」として存在する事象は、
過去に「カレー」であった経緯を持つのやも知れないのである。
逆もまた真なりで、現在「カレー」として認識され「カレー」として皿に乗っている事象は、
過去に「うんこ」であった経緯を持つことを完全に否定することはできない。
直接うんこを鍋の中のルーに溶かし入れるなどという極論を述べずとも、
人間の排泄物が肥料として農作物の栽培に使用されていたのは夙に知られた事実で、
日本の代表的な寄生虫である回虫の罹患率が、戦後急激に減少したのは、
肥料の原料が人糞から化学肥料にシフトチェンジした事によるものであることは、
上に指摘した文章を裏付けるものである。

「やぁ!そこの君、とってもお腹が空いているような顔をしているね。
 私はうんこにしてカレーである。最高の物であり、最低の物である。
 ほら遠慮せずに、さぁ さぁ さぁ お食べYO!」


従って、マクロ的な視点から見れば両者を同一視することは何ら不自然ではない。
以上の主張にどうも納得がいかないというのであれば、
空間的な概念であるトポロジーを、今度は「時間的」連続体として拡張すればよい。

フィクションの世界でも、SF作家カート・ヴォネガットの代表作「スローターハウス5」には
過去から未来にわたる全ての時間を同時に一望することができる「トラルファマドール星人」
なる登場人物が存在し、現在というしがらみに捉われる地球人の視野の狭さを指摘している。

ということは異常性癖である食糞行為に及ばずとも、
位相幾何学上は「うんこ」を食べ続ける人間が存在し得るのである。実に愉快である。
一心不乱に自らの身体の一部又は分身を食べ続けるその姿には、
恐慌を来し凶行に及んだ主神を描いた、ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』や
己の尾を噛んで環となったウロボロスを思い出さずにはいられない。
驚くべきことにウロボロスは錬金術において、貴金属を生み出す賢者の石の
作成過程を表す象徴であり、黄金はうんこの隠喩としても使われるのである。
ここまで来ると偶然ではない…もはや「必然」。

『フィリップ(スタルク)がデザイナーだって?
 デザイナーが聞いてあきれるよ!お前は黄金(こがね)の錬金術師だ!』


うんこだこれ

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2009.11.17 Tue l サークル l COM(0) TB(0) l top ▲

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